シネカノンのこと
少し前から噂では聞いていたのだが、
ついにシネカノンが民事再生法の適用を申請した。
この倒産は単に、一映画製作及び配給会社が倒産した、
そういった単純なものではない。
邦画界は、その希望の星を失ってしまうかもしれない。
シネカノン・李さんはそんな存在でさえあったのだから。
世の映像を製作する環境を考えてみると、デジタル技術の
急激な進歩により、小型のデジタルカメラなどを使用することによって
言ってしまえば誰でも“映像”は作れてしまう時代になった。
一方、興収ランキングの上位に顔を並べるのは大抵の場合、
テレビ局の絡んだいわゆる大作であることが多い。
こうした状況は、粗製乱造とまでは言いたくないが、
次から次へと映画まがいの映像は作られ続けるその一方で、
CMや番組を使用して派手に宣伝をうつ大作映画のみが
大ヒットする(させる)という極めて歪な状況にある。
そうした日本映画界において、シネカノン・李さんの作る映画、
配給する作品は中身と規模のバランスのとれた、
それでいて内容的には作り手の良心や志をも感じさせる
今の時代には貴重な映画が多かった。
10年位前になろうか、映画のセミナーなどに参加する若い映画人、
もしくは映画業界で働くことを希望する学生さんには、
将来は李さんのようなプロデューサーを目指したい、
そんな夢や希望を語る者たちも少なくなかった。
シネカノン=李鳳宇であり、その存在はインディペンデントに限らず、
上述したように、日本映画界の希望の星であった。
だから、「フラガール」が日本アカデミー賞を受賞したとき、
それは長く続いた日本映画界の常識、慣習を打破した、
まさに快挙と言われたのであった。
映画の製作に比するほどのギャンブルなどは存在しないので、
自分は世間でいわれるところのギャンブル、いわゆる競馬、競輪、
マージャン、パチンコなどは一切しない、そういい切っていた李さん。
確かに不確実かつ“賭け”という側面のある“映画”という商売で
長年新境地を切り開いてきた李さんであったが、
ついにそのツキから見放されてしまったということなのであろうか。
かつて、あるパーティーで李さんにあったときのこと。
その頃ドキュメンタリーの製作会社にいた私は、独立して
劇映画の製作および演出をしてゆきたいという希望を伝えた。
すると李さんはいつものおだやかでかつ余裕のある態度で
「自分も劇映画を積極的に作っているけれど、ドキュメンタリーも
面白いですよね」、そう述べてドキュメンタリー映画の意義、存在価値、
そしてドキュメンタリーでなければ撮れないものがあるその独自性について
話をしたのであった。
あれだけの人材、そうそう簡単に現れるとは思えない。
もし、ツキに見放されたのが今回の負けだとしたら、
人生はすべて正負の法則、再び巡ってくるツキをも味方に
再度カムバックされる李さんの姿をぜひ見たいと切望するのである。(T)