「愛人 ラマン」バンコクでタイ語を学んでいた頃、学校が休みになると
知人の日本人を訪ね、よくパタヤビーチまで遊びに行ったものだった。
ヴェトナム戦争に参戦したアメリカの
その兵士たちの保養地として発展したパタヤは
清濁混沌とした、ある意味タイを象徴した街であった。
アジア有数の歓楽街でありながら、ジェット・スキーで30分も沖に出れば、
そこには透明度の高い海と珊瑚礁が見られたりもしたのであった。
この街には、ヴェトナム戦争が終わっても本国に帰還せず、
そのままパタヤに居ついてしまったアメリカ人が何人もいた。
ヴェトナム戦争当時、
過酷な戦場から束の間の休息を求めパタヤにやってきた人間にとって、
あの街がいかにユートピアのようであり安らぎの地に思えたか、
そして永住を決意するまでに至ったのか、
タイに居ついてしまう外国人は日本人も含め、現在も沢山いるが、
そんな人たちよりも、あのアメリカ人たちの気持ちの方が
数倍わかるような気がするのである。
パタヤのあの明るい開放感の裏には、
心に傷を負った多くの人たちの哀しさが滲んでいる。
哀しさを通り越した明るさ、パタヤはそんな街なのである。
彼らと話をしていて面白いことを聞いた。
現実にヴェトナムの地で戦った彼らの目から見ると、
ヴェトナム戦争を扱った映画は、どれもこれもその風景に違和感がある、
そしてみんな嘘っぱちに見えるというのであった。
「地獄の黙示録」「ディア・ハンター」「プラトーン」・・・
どの作品も、あれはヴェトナムの戦場ではないんだ、
ヴェトナムはもっと過酷な土地なんだ、そう断言するのであった。
実際どの作品も、ロケーションはタイやフィリピンで行われている。
欧米人に限らずわたしたち日本でさえも、
ジャングルとヤシの木さえあればそれでヴェトナムの出来上がりと感じてしまうのは
よく考えてみれば随分といい加減なものである。
もし欧米人から、日本でロケしなくても韓国か中国でロケすれば風景も
そう大差ないだろうなどと言われたら、それは違うと当然反論したくなるだろう。
自分も暮らしていたタイと、撮影で訪れたヴェトナムの景観を比較してみたが、
やはり自然の色というか、その表情が随分違ったものに感じられた。
タイの自然はヴェトナムに比べ、やはり大らかであった。
ヴェトナムのそれはやはり厳しく、例え戦争がなくとも、
人々の生き方は厳しくならざるを得ない、そんな印象を抱いたのだった。
この「ラマン」という作品は、ヴェトナム戦争を題材にしたものではない。
マルグリット・デュラスの自伝小説を映画化したものであり、
描かれる時代も1920年代後半である。
デュラスを演じるにしては、主演女優にどうも知性が感じられない、
原作の素晴らしさがいまひとつ映画に表れていないなど、
否定的な意見も聞いた作品ではあるが、
それらを補って余りある素晴らしい映像美がこの作品の最大の魅力である。
ヴェトナムでロケーションしたこの「ラマン」は、
その場にいるだけで汗がにじみ出てくる強烈な陽射しや、
風景のどこかに農作業をする人と水牛がいる田舎道の景観、
そして泥に汚れじめじめとした肉と魚の臭い漂う市場の様子など、
あの地の空気感と雰囲気が見事にとらえられていると思う。
これほどまでの映像美は、単にキャメラマンが上手いとかレンズが良いといった
単純で物理的な要因だけではなく、小道具をも含めた美術、
そうしたキャメラの前にあるものすべてと
さらには光の具合といった自然の要因までもが作品に味方をしてくれる幸運、
そしてその幸運を待ち続けられる経済的な余裕、
そうしたすべての条件が揃わなければ、けっして得ることはできないのである。
パタヤで出会ったあのアメリカ人たち、彼らはこの作品を観たであろうか。
戦場を描いていないこの作品であるが、自分たちの国の行った無謀な行為に、
改めて思い至ったのではないであろうか。(T)
愛人 -ラマン- 無修正版 / 東北新社
ISBN : B000H9HQUQ
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