「紙屋悦子の青春」モーツァルトしかりベートーヴェンしかり、
真に優れた芸術家は、後世の人々に
素晴らしい贈り物を遺し、この世を去ってゆく。
そうした人たちは皆、人生の晩年に近づいてゆくにしたがい、
より純度の高い傑作を数多く生み出していった。
それまでに書かれた作品も、まさに魅惑の作品群であるが、
モーツァルトのK595、K620、K622、
ベートーヴェンのミサ・ソレムニス、交響曲第9番、後期弦楽4重奏曲など、
晩年に近づくにしたがい、より精神性の高い芸術を彼らは遺していったのである。
作曲家の僕(しもべ)である、演奏家に目を転じても同様である。
自分が敬愛するピアニスト、ヴィルヘルム・バックハウス、
そしてアルトゥール・ルービンシュタインも、
最晩年に素晴らしい仕事を遺して逝った。
バックハウスには、文字通り「最後の演奏会」というCDがある。
彼はその演奏会の7日後に、85歳の生涯を終えたのであるが、
そこに刻まれた音楽からは、彼の気高く崇高な魂が感じられるのである。
ところで、わたしたちの映画界はいったいどうなのであろうか。
映画と音楽、単純に比較するわけにはいかないが、
一概に映画監督と呼ばれている人たちは、その晩年において
全盛期を超えたものを遺して逝く人は、極まれだといわざるを得ない。
そもそも映画という芸術は、恐ろしく金も手間もかかるものであるから、
それらのすべてを統制する能力も気力も、ひいては無鉄砲ささえもが、
若い頃、そして壮年期のほうが、より充実しているからではないかと考えられる。
しかしここに、黒木和雄という監督がいる。
彼の遺作「紙屋悦子の青春」には、
モーツァルトやベートーヴェン、そしてバックハウスの最晩年の作品に共通する、
崇高な魂が存在している。
この映画は、日本人だからこそ作り得た、デリケートで繊細な傑作なのである。
そして、特筆すべきは役者たちの存在感である。
原田知世がほんとうに素晴らしい。
こんな俳優が日本にいることを誇りにさえ思う。
黒木監督は自分の師匠と同門であったため、
何度かお目にかかったことがある。
師匠がある映画賞を受賞したとき、
大勢の映画人が集まって祝賀パーティーが開かれた。
業界に入ってまだ間もない自分は、まさにペーペーであり、
準備と片付け用の下働きとして会に参加していた。
会の冒頭、挨拶に続きビールでの乾杯の準備がはじまる。
お酌係の自分は、著名な監督、プロデューサー、カメラマン、録音部、照明部・・・
その他大勢の大先輩たちにビールを注いで回った。
司会の人間の“それでは乾杯!”を合図に飲み食いが始まるわけなのだが、
通常自分は蚊帳の外。
誰も自分のことなどは気にもとめてくれない。
映画界とはそんな徒弟制度の世界なのである。
ところがである。
全員がグラスを掲げ乾杯の合図を待っているそのとき、
ぼんやりと佇んでいる自分にグラスを差し出し、
「さっ、君も」と言ってビールを注いでくれた人がいたのだ。
驚いて慌ててお辞儀をすると、その人こそ
あのトレードマークの黒い帽子をかぶった黒木監督であったのだ。
黒木監督の、声なき者や弱者に対して向けられる優しい眼差し、
こんなところにも見て取れるではないか。
人生を終えるときに、このような作品を遺せるような生き方、
自分も少しでもそうした境地に、近づけていけたらと思う。(T)
紙屋悦子の青春 / バンダイビジュアル
ISBN : B000N0WBFE
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