「危険な年」 その2少し前になるが、2010年に南アフリカで開催されるサッカーの
ワールドカップ、アジア地区最終予選の組み分けが決まった。
日本は比較的楽ではないかといわれているA組に入った。
そのA組で、日本の最大のライバルになるのはオーストラリアだと
いわれているが、このオーストラリア、それ以前に加入していた
オセアニア・サッカー連盟からアジア・サッカー連盟(AFC)に編入して臨む、
初めてのワールドカップ予選である。
オーストラリアがAFCに加入したとき、漠然と思ったものだった。
果たしてこの国はアジアなのか?と。
たしかに、地理的にはインドネシアの少し先といえば先、
ヨーロッパ近隣にあたる中東諸国よりもアジア的といえないこともない。
しかし、わたしたちが普通に考えるオーストラリア人とは、
200年と少しの歴史しかもたない国に住む、いわゆるヨーロッパの人たちである。
そのオーストラリアに、AFCへの加盟を認めるサッカーそのもの自体が、
そもそも世の中の文化的・歴史的背景など超越した、
いわゆる“グローバリゼーション”スポーツなのだと、
そういうことなのであろうか?
ところで自分は、西欧社会がアジアを舞台に描いた数々の映画の中で、
その最高傑作は文句なしに「危険な年」だと思っている。
この作品の根底に貫かれているのは、大航海時代以降、
植民地政策から現在に至る西欧とアジアの構図であり、
その揺るぎない基本形がここに見事に描かれている。
さらに特筆すべきは、製作者たちのその問題に対する意見表明が、
明確になされているという、まさに稀有の名画なのである。
そこでである。
自分はこの「危険な年」が、監督のピーター・ウェアーはじめ、
オーストラリア人のスタッフによる、いわゆる“西欧社会”によって
製作された映画だとこれまで認識していたのであるが、
もしかするとオーストラリアという国はサッカーの問題と同様に、
初めからアジアの国であったのかもしれない、
少なくとも地理的には、明確にアジアの一員であったと、
そして、もしそう考えるならば、この作品に示される素晴らしき見識は
西欧のアジアに対するものではなく、初めからアジアによるアジアに対する
眼差しであったのかもしれない、だからこそこれほどの卓見が得られたのでは
ないのだろうか・・・
今回のアジア地区最終予選と、オーストラリアのAFC加盟問題をきっかけに、
そんなことを考えてみたのであるが、果たしていかがなものであろうか?(T)
危険な年メル・ギブソン / / ワーナー・ホーム・ビデオ
ISBN : B00005UDDL
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「危険な年」20年以上前のこと、作家の故・中上健二氏が何かの雑誌に
次のようなことを語っていた。
かつては、その映画を観ていないと仲間内の話題についていけないとか
話題に乗り遅れてしまう、そのような映画作品があり、
しかも映画それ自体にそれだけの重みがある、そのような時代があったのだ、と。
そしてこの作品こそまさに、当時なら観ていなければ
仲間との話題に乗り遅れてしまった作品であったことは間違いない、と。
中上氏がそう語ったのが、この「危険な年」であった。
しかし、自分はその記事によってこの作品を観たわけではなかった。
当時、大学生だった自分に、師匠の映画プロデューサーから電話がかかってきた。
「君は今、期末試験中だそうだが、明日まで上映しているから、何とかして観てきなさい」
その頃、自分と師匠の間には有無を言わせない、
まるで徒弟制度のような関係があった。
頭の中を試験勉強で一杯にしながら、
しぶしぶ渋谷の映画館に足を運んだことを、今も憶えている。
しかし、観終えたときには師匠の勧めに大いに感謝をしていたし、
この作品を観た影響はその後タイに留学したりタイで映画を撮ろうとしたり、
そして今もなお続いている。
アジア経済を学んでいた自分にとって、
この映画は“アジアを見る眼差し”の基礎となった。
映画で扱われている9.30事件当時と、この映画が製作された当時、
そして現在と、時代は大きく動き、しかもアジアの様相も大きく変化していった。
しかし、アジアと“世界”の関係性において、
今もまったく変わらない普遍性を、この作品は有していると思う。
ミャンマーの情勢などを知るたびにいつも、この作品のことを思い出すのである。
若き日のメル・ギブソンが本当に素晴らしい。(T)
危険な年 / ワーナー・ホーム・ビデオ
ISBN : B000PFUBWC
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Sacra cafeの本棚に「危険な年」のパンフレットあります。